瀧小路の戦跡広島県廿日市市宮島町




撮影日:201223

大聖院のすぐ下の小路です。

陶晴賢の重臣弘中隆包は厳島を毛利氏との戦場にするには狭くて自軍に不利と主君を諌めましたが、聞き入れられずやむなく息子と一緒に参戦。

1555年10月1日早朝に毛利軍の奇襲を受けて陶軍は壊滅状態に陥りました。

弘中親子は陶晴賢を大元浦に逃がした後、この地で吉川元春の軍勢を防ぎましたが支えきれず、左右の民家に火を放って撤退。

吉川元春は弘中親子を捕まえるよりも神殿への延焼を防ぎにかかったとのことです。



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