中の垰隧道広島県東広島市西条町郷曽




撮影日:201128

 江戸時代中ごろ、藩の政策で農地開墾を行い、田畑を涵養するために深道池が作られました。




 しかし、給水能力が低く、一度田畑に水を入れてしまうと数年間は水がたまるまで待たないといけなかったという話です。

 しばしばこの周辺の田畑は渇水に悩まされ、昭和の始めに沖田という方が水路を別の川から引くように計画を立てました。

 池の東側の川から水を導き深道池に導くと言う話ですが、途中、中の垰を通さなければ水を深道池に入れられなかったと言うこと。

 沖田氏は一人で峠に水路を開け始め、最後は他の村民も手伝ったと言うこと。

 国の指定重要文化財でまだ共用されている現役の隧道です。






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