撮影日:2011年4月24日
三高山砲台跡と同様、呉鎮守府防衛のための砲台でした。
対ロシアを考慮に入れたのか、三高山、がんね鼻と砲台を作っていました。
ただ、この砲台跡は三高山の砲台跡と比べてぜんぜん保存された形跡がありません。
土は崩れ、木々が生い茂り、かつての面影はあるものの、まったく手入れされた様子がありませんでした。
最初、ここはがんね鼻と思ったのですが、後で調べてから鶴原砲台跡と判明しました。
がんね砲台跡は一度整備されたにもかかわらず、なかなかの惨状を呈しているとの事ですが、こちらも同様のようでした。
下の写真のうち、左が鶴原砲台跡、右ががんね鼻です。