撮影日:2011年4月3日
1370年代に草津周辺で家事が多く発生した事から村人がこぞって小さな祠を建立したことが始まり。
祠を建てた後には火事もぴたりと収まったと言うことです。
その後、毛利氏、浅野氏と統治者が変わっても神社は残り、明治を迎えたと言うこと。
霊験あらたかな神社であり、祈れば必ず御利益があったと言うことです。
ちなみに、広島市から被爆建物の登録を受けています。
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