撮影日:2011年1月15日
室町時代に下総から安芸の国に移り瀬戸内水軍となった白井氏の城跡と伝えられています。
近代のこの周辺の名前、出張市から城の名前がつけられたそうですが、白井氏の時には国府城、府城、芸府城などと呼ばれていたそうです。
白井氏は武田氏、大内氏の傘下に入り、水軍として活躍しましたが、毛利氏の台頭によって次第にこの城も奪われ、拠点も後退したものと考えられています。
既に周辺が住宅地となり、郭のあとも民家などが立っているために城の面影は完全になくなっていますが、かつては黄金山の仁保城と並んで拠点となった城とのことです。
城の入口は少々わかりにくく、クリーニング屋さんの横手の小道がその入口です。
ちなみに、一番上の写真でもわかりますように、城の痕跡はまったく見られませんでした。