撮影日:2010年10月30日
太平洋戦争末期(昭和20年7月下旬)に能美町沖で大破着底した重巡洋艦の遺品がおかれている資料館です。
重巡洋艦利根はミッドウェーやレイテ沖海戦などに参加し、昭和20年には海軍兵学校練習艦として停泊中に米軍の空襲を受けました。
近くに一緒に偽装されていた大淀は転覆したものの、利根は持ちこたえて応戦。
海軍兵学校からも応援を呼んでダメージコントロールに努めたものの、6発の爆撃を受け7月28日に大破着底。
その後、艦内から死傷者の搬送・埋葬や、備品や銃器などを陸に移動しているうち、8月6日に広島市内で原子爆弾が投下され、そちらに人手が割かれました。
そのまま、1948年までにスクラップになったとのこと。
資料館に隣接している利根公園はこのときの空襲で亡くなられた方を祀った慰霊碑があります。
利根の乗組員は港町の民家に別れて宿泊したり、クラブを置いて交流を持ったりして家族のような付合いがあったとのこと。
公園には艦から128人の死者と付近で生活していた民間人17名の犠牲者が記されています。
資料館は民家風の建物で、近くのロッジのフロントに声をかけましたら、「鍵を開けていますからご自由にご覧ください」とのことでした。