撮影日:2010年6月20日
福島正則候の時代、信濃の人正譽玄斉和尚によって創建されました。
和尚は弘法利生の志厚く、諸国巡錫の途上この地に差し掛かったところで、紫雲たなびく中に光明を見、鉦鈷の妙音を聞き、音を頼りに進むと地蔵仏があったとのこと。
これによって、仏縁ありと開山にいたったとのことです。(下はその地蔵仏のお堂)
また、お地蔵様は身代わり地蔵とも言われ。
ある武士が試し斬りをしようとして、お地蔵様を信仰していた女性に夜道で切りかかったところ、真っ二つになったお地蔵さまだけが残っていたと言う言い伝えもあるとのことです。
その後、この武士はその場で髪を落として仏門に入ったと言う話が残っています。(2代目の和尚になったとのこと)
昭和20年には本堂から庫裏まで悉く壊滅したとのことで、昭和35年になってから本堂が再興したとのこと。
救世軍横の小道を奥に入ったところにあり、宗派は浄土宗。
本尊は阿弥陀如来。
山門には阿吽の仁王像が控え、入って前方にお地蔵様が見えます。
その右手に本堂がありました。