撮影日:2010年6月13日
昭和11年に建造された建物で、爆心地から380メートルの場所にあります。
この建物も当然被爆し、屋根が抜けるほどの被害を受けましたが、構造自体は残りました。
その際、12名が犠牲になっています。
また、その後の職務においても放射線の被害によって亡くなられた方が何人もおられるとのこと。
吹き込んだ爆風は地下まで及び、金庫室につながる格子戸の蝶番には曲がったのを矯正したり、飾り部分が欠けたものもあります。
以下の写真の上の蝶番がゆがんだものを矯正して使用中。下は飾り部分が取れています。
8月6日の後、軒並み全壊した広島市内の金融機関がここで窓口を開いていました。
1990年までこの建物が使用され、その後広島市に無償貸与されました。
内装は白で統一されたローマ様式を踏襲し、帝国銀行や江波山気象館と類似した雰囲気があります。
白い内装が映え、建造当初は最新式の美しい建物だったのでしょう。
入場料は無料で、常時開放されており(ガードマンが定期的に見回っておられました)、地下から3階まで自由に見学できます。
数十年前まで使用されていたこともあり、金庫室の扉などをそのまま見ることができます。