撮影日:2010年2月28日
草津、古江の場所が深い入り江で天然の良港だったとの事。
厳島神社と同じころに多紀理姫命を祀ったのが創祀という話です。
八幡様のほか、宗像三女神など9柱を祀っているとの事。
社殿は被爆建物であり、8月6日には窓などが壊れたという話。
爆心地からちょうど山陰に当たる部分であったため、倒壊はしなかったという話です。
かつてはもう少し小さなお社だったという話を神主さんから聞きました。
神主さんは若い方でお茶をいただいた上に説明もしてくださいました。
話によると、草津が埋め立てられる前はもう少し下の場所。
海の近くに建てられ、海路の守護神として祭っていたとのこと。
それが年を経るごとに山側に建物が移り、そのごとに社殿が大きくなっていったということです。
今の社殿は昭和6年の建立で、さすがにこれ以上は社殿が大きくならないだろうということを話されました。
また、鎌倉時代になってからこの地に所領を得て来住した社家始祖が宇佐八幡宮から八幡様を勧請したという話。
鎌倉時代に安芸の国に居を構えた武士は結構いるようですね。
毛利氏や吉川氏もそれにあたりますし。