多門院(広島市南区比治山町)




 撮影日:2009年4月19日

 1500年代には毛利元就によって吉田村に移築されたそうですが、毛利輝元の広島城築城の際に

広島に移されたとの事。

 昭和20年8月6日の原爆投下時には臨時の県庁として機能しました。




 鐘楼は被爆したままの状態で残され、鐘は取り替えられたものの、一部が破壊されたままで今日ま

で使用されています。




 鐘は毎日8時15分に鳴らされています。

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