撮影日:2009年3月8日
国道54号線の上にある城で、国道の上には神社が建っています。
宍戸家の居城で、毛利興元の代には敵対関係にあったようですが、毛利元就の代には和睦を進め、
姻戚になっています。
宍戸氏は毛利氏の長州への移封の際に、一緒に長州に移っています。
城の名前の由来は、宍戸朝家がこの地に城を建てた当初には水がなく。
五龍王を勧請したところ、馬を洗えるほどの水が湧き出したということ。
宍戸朝家はそれを喜び、山の名前を五龍山。城を五龍城と名づけたと言われています。
既に城郭の様子はなく、本丸の石垣跡が分かるぐらいですが、それぞれの段を見ると下を一望できるように作られているあたり、やはり戦国期の山城と言う事を理解させられます。
城のふもとにある道には五龍王をかたどった像が建てられています。