2008年8月17日撮影
源頼政の妻、菖蒲の前が息子種若丸とともにこの近くに隠れ住みました。
しかし、種若丸は若くして亡くなり、それを悲しんだ菖蒲の前が、子供の墓を石で組み、「吾妻子
や」から始まる詩を読んだ事から、それまで「千尋の滝」と呼ばれていたのが、「吾妻子の滝」と呼
ばれるようになったきっかけだったとのこと。
種若丸の墓と呼ばれている石積みは観音とも呼ばれ、六角の堂の中に置かれて居ます。
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