2008年7月20日撮影
元は毛利輝元が母の位牌所として建立したのですが、広島城からは鬼門の位置に当たるため、城の
守護としての祈祷所の役目を持たされました。
浅野氏の時代には5大寺のひとつに数えられ、繁栄を極めましたが。
昭和20年の8月6日に原子爆弾によって建物は倒壊。
赤穂義士像を安置した義士堂、仁王門の倒壊を除いて灰燼に帰したということです。
今は再建され、義士堂の中には赤穂四十七士像が並んでいます。
もどる