2008年7月12日撮影
安芸の国の中では延喜式にすら載っているほど歴史の長い社殿です。
ただし、中世の武士同士の争いから一時期所在がはっきりしていなかった時期もあり、正統を名乗
る2社(松崎八幡宮、安芸国総社)が明治になって今の形で多家神社としてまとめられたとのこと。
祭神は神日本磐余彦尊(かんやまといわれびこ)です。
社殿の合併に際して、広島城内の稲荷社の建物を譲り受けたそうですが大正11年に本殿・拝殿な
どが消失。
広島城から譲り受けた建物で残っているのは宝物殿(下の写真)のみとなりました。
宝物殿の作成方法としては、国内でも珍しい不等辺六角形の木組の造りで、日本国内でも唯一とい
うことです。
この作成方法は信起山縁起絵巻に記載されている外は類を見ないものとのこと。