2008年7月12日撮影
アストラムライン 不動院前から徒歩数分の場所にあるお寺です。
かつては安芸の国安国寺だったらしく、この地の守護である武田氏が毛利元就に倒された後、一時
期衰退していました。
しかし、毛利氏の知恵者としても有名な安国寺恵瓊が住職となったあたりから、恵瓊の出世ととも
に栄えていきました。
恵瓊は関が原の戦いで処刑されるのですが、その後、福島正則の祈祷僧宥珍により不動院の名称に
変更。禅宗から真言宗に変わりました。(本尊は不動明王)
その後の浅野氏広島入りにおいても、浅野氏の庇護を受け現代まで続いています。
昭和20年8月6日の被災においても被害は爆風のみということで寺の人々は無事だったとのこと
。
金堂は国宝なのですがこれも現代まで残っています。
ただし、広島方面から逃げてきた被災者がこの寺社一帯にしばらく寝泊りをすることになり、ここ
ら近辺が治療設備の一角に当たったそうです。